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酒匂さんのVDM導入。プロジェクト規模は関連メンバーは約80人。全員、VDMで記述した仕様は読めるように教育はした(でも、1週間程度で十分だった)。書く人は数人(もちろん、1週間程度の短期/簡易教育ではだめ)。
akrさんの現在の興味はシステムシンキング。
(これ、因果というかノードを2つにすると弁証法(というか俗流弁証法としての矛盾論)だな)
Excel/Wordで作ったドキュメントがある→Officeを使って読む→Officeがあるからドキュメントを作る→(先頭に戻る) という状況に自由ソフトが対抗するには、Excel/Wordで作ったドキュメントがある→Officeを使いたいが金を使いたくない→自由ソフトの代替物を使う→というようにループに介入することができる。
・持続的イノベーションにより戦力が弱いものが同じ持続的イノベーションで立ち向かうのは徒労という話もある。
イノベーションへの解 Harvard business school press(Clayton M. Christensen)
(今更だけどKindle版を購入して読んでいる途中)
もともと、高校の頃、毛沢東の文章が好きで良く読んでいた。独特のリズムがあるからだ。
後年(奥付をみると1996年となっている)、講談社学術文庫の中国的レトリックの伝統を読み、僕が好んだ毛沢東の書き方をうまく整理し、修辞法と思考法の一致について書いてあるのに感心した。なるほど、僕が好んだ毛沢東は、10億人民の太陽の陰謀家、政治家の毛沢東ではなく、独特の修辞法を身に着け10億人民を言葉で心服させた詩人の毛沢東だったようだ。
本書は実におもしろい。陳琳を枕に文を通した曹操の人物評に始まり、曹植、阮籍、劉勰、毛沢東と、その人の著述に見られる修辞法からその人の考え方を推し量り、ひいてはその人の生き方について論述しているからだ(日本では高橋和巳、武田泰淳、花田清輝が取り上げられている)。
文はまさに人なのだった。
著者は毛沢東を評して
毛沢東は、いかなる言語表現にもつきまとう詐術性を、むしろ積極的に利用しているのではないか、と。
たとえば、毛沢東(実は毛沢東に限らず、革命のブレチンはすべからくそうなのだが)は、まず分析し、そして方針を示す。その分析は論理的あるいは客観的に正しいかどうかは大して問題ではなく、言葉としてわかりやすく、おもしろい。当然、そこから導かれる方針が正しいかどうかはさっぱりわからない(おそらく、大いに間違っていただろうことは、大躍進の結果を見れば明らかだ)。だが、毛沢東は10億を動かして蒋介石を台湾へ追いやり、ソ連と対立してニクソンを中国へ呼び込み、10億を飢えさせて文革した。その言葉に10億もの人を動かすものがあったのは歴史的な事実だ。
例)
大衆のいるところでは、どこでも、だいたいにおいて、比較的積極的なものと、中間状態にあるものと、比較的おくれたものとの三種類の人びとがいる。したがって、指導者は、少数の活動家を結集して指導の骨幹とし、この骨幹に依拠して中間的な人びとをひきあげ、おくれた人びとをかちとることに長じていなければならない。(指導的方法の若干の問題について)
これは論理的な分析でもなければ方針でもない。ただの放言だ。だが、オッカムの剃刀でも切ることはできない確からしさがあるために、なるほどそのように(しかし、どのように中間的な人びとをひきあげるのか、具体性は何もない)指導しようと、党員を納得させる。
ベチェーンを称える文は好きだ。
人の能力には大小があるが、しかしこの精神さえ持っていれば、それは高尚な人であり、純粋な人であり、道徳的な人であり、低級な趣味からぬけ出した人であり、人民にとって有益な人である。
このリズムは最高だ。だが、実のところ、なぜ、その精神を持っていれば高尚で、純粋で、道徳的なのか、それは誰にもわからない。言った本人にもわからない。そうであるから、そうなのだ。空疎さは、リズムによって消散する。
まさに、文章は経国の大業なのだ。
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