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ヴェルディのファルスタッフが予想をはるかに超えておもしろかったので、原作のウィンザーの陽気な女房たちを読むことにした。
おもしろい。
どうも、喜劇というと一段落ちたような印象を受けるのと、紹介記事とか読むと、ごちゃごちゃしていてつまらなそうな印象を受けるので、これまで敬遠していたのであった。
でも、登場人物がごちゃごちゃしているからこそおもしろい夏の夜の夢や、十二夜を思い起こせば、シェイクスピアの喜劇はごちゃごちゃした人間関係がおもしろさの原動力なのであった(というか、リア王だのハムレットだののように、史劇風なものをつい持ち上げてしまう感覚があるのだろう。十二夜や夏の夜の夢もまともに読んだのはここ数年のことだ)。
で、小田島訳を購入(最近気に入っている 大場訳は無いので定番の小田島訳)。
これまで相当多数のシェイクスピアを読んできたが、この作品は次の点ですごく特異だ。
まず、真の主役のウィンザーの陽気な女房たちが市民だということだ。サー・ジョン(フォルスタッフ)は騎士で、その子分のゴロツキはゴロツキとして、それ以外の登場人物は、神父、外国人の医師、紳士たる地方判事とその甥、宿屋(呑み屋)の主人、女中、子供、破産した貴族で、そのうち神父は訛りがひどく暴力的で粗野な人(ただし、最悪な人ではない)、外国人の医師は夜郎自大で凶暴なクズ(ただし、言葉が不得手なのでそれを利用して、さんざんからかわれる役でもある)、地方判事は無教養で粗野で視野の狭いこれまた夜郎自大なクズ、甥は素直な良い奴だが知恵が遅れている(バレエのラフィーユマルガルデやドンキホーテに出てくるタイプ)、女中は知ったかぶりの頓珍漢と、ウィンザー市民の女房と夫(2組)以外(宿屋主人はニュートラルな政治家)は、全員、笑われる立場の人たちとなっている。ついでに夫のうちの一人は嫉妬深さを笑いのネタにされるので微妙な立位置だ。同じく微妙な立ち位置なのがサー・ジョンで徹底的にひどい目にあうが(最後は蝋燭で炙られながらつね繰り回される)、他の喜劇的人物と異なり妙に自覚的だ。
残る破産した貴族は、女性への愛による救済によって市民道徳の高みへ導かれる人で、ここに至って、シェイクスピアがこの劇をどの層の観客へ向けて、どのような立場で書いたのか明らかとなる。エリザベス女王は関係ないんじゃないか?
ただし、最後は後腐れほとんどなく、みんなで仲良く飯食べておしまい(この飯を市民が振る舞うというのも象徴的だろう)。
ウィンザーの陽気な女房たち (白水Uブックス (18))(ウィリアム・シェイクスピア)
なるほど、ヴェルディ最後の作品にふさわしい素材なのだなと納得した。
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