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デセーをメインに据えて演出家のシヴァディエ、指揮者のラングレ(この人、イギリス移民か何かの子孫なのかな。妙な苗字に思える。丁寧な良い指揮者だけど先生っぽい)や他の共演者、練習ピアニスト(うまいものだし、しかも解釈を持っている。先生っぽい)、コーラス(そういえばオーケストラのほうはあまり描写がない)の人たちが、エクサンプロヴァンス音楽祭(席数が少なくてびっくり)のために、ヴェルディの椿姫を制作するまでの過程のドキュメンタリー映画。作ったのはフィリップベジアという作家。
フランスのドキュメンタリー映画って、以前見た行けラペビのニコラフィリベールもそうだが、モンタージュが実にうまい人が多い(というか、うまいドキュメンタリーが日本で公開されているだけかも)印象を受ける。唐突にダニエルシュミットやゴダールも優れたドキュメンタリー映画の作家だということを思い出す。ふと、日本の映画を考えると、市川崑の東京オリンピックが優れたドキュメンタリー映画(ニュース映画を期待していた人たちから酷評されることになったのはお互いに不幸なことだったと後知恵で考える)だったとか、神谷名前忘れた作家とかも思い出す。
この作品もドキュメンタリー映画として実にうまく、一貫して映画的だった。
シヴァディエ(映像に出てくる演出家は、誰もが映画的に振る舞うのは、そういう素養があるからなのかな。と、ヌーヴェルヴァーグ映画を撮るに出てくる作家たちを思い出す)の延々と語られる非常に手前味噌な解釈と、ヴィオレッタなら目を瞑っていても歌える(スタンダードなのでそう思うが、デセーが椿姫というのは違和感があるのも事実だ)デセー(なので、解釈をだらだらやられると茶々を入れたり、へらへら笑いながら振る舞ったりもしているのだが、その一方で、この人は本当にプロフェッショナルだなと感心するまじめさがあって、そのあたりの切り取り方がおもしろい。どのシーンで何をするかを、歌を歌って記憶していく箇所は興味深かった)の表現をめぐるバトルが映像の基調としてある。最後、ヴィオレッタが崩れ落ちるシーンを延々とデセーが練習する風景で締める。
それにしても、この映画を観ると、椿姫という雰囲気訳は、本当に、ミスリーディングだなと言わざるを得ない。シヴァディエの演出は、コーラスへの指示やジェルモン役のカストロノーヴォへの指示を見ている限り、楽しい夢のような世界(シャンパンの泡のようである)と、ヴィオレッタの孤独な生涯を対比させることに重点を置いているように読める。したがって、椿姫ではなくトラヴィアータでなくてはならない(ことを強調するために、背面に大きくその文字が描かれる。しかしそれは3幕で拭い去られる)。そこで映画の最後で繰り返される崩れ落ちるさまは、魂の救済(肉体は地へ、魂は天へ)を意味することになり、映画の締めであり、延々と練習する様子はデセーがシヴァディエの演出を納得したこと(映画のテーマである女優と演出家のバトル)の止揚となる。
うまいものだ。
Verdi: La Traviata [DVD] [Import](Natalie Dessay)
が、これがモダン演出は別として、スタンダードな椿姫の音楽かと言われると、それは違うんだな。おれはデセーのファンだから好きだけど。
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