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日本企業のありかたは、グローバライゼーションしたといっても、まだまだ独特なようだ。
ということを【公開】第30回IT勉強宴会「最近感じる日本企業のITの問題と展望~「ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国」を読んで」を見て考えてみる。
これは、江戸時代に端を発する呉服屋システムや、鎌倉時代に端を発する武家システムや、平安時代に端を発する荘園システム(宇治拾遺物語や今昔物語を読めば、五位という係長の悲哀や、右大臣専務の勇断などがごろごろしていて、まるでビジネス小説だ)に(奈良時代は唐の律令制度のパクリとなり、それは平安時代への過程で超克されたのでそこまで遡る必要はない)、明治になって入って来た株式会社システムを和魂洋才した結果生まれたシステムだからだと仮定する。
今昔物語集・宇治拾遺物語 (新明解古典シリーズ (7))(桑原博史)
そして、実は、そのシステムは良いものだとさらに仮定する。
バブルが崩壊した後、妙に反省し過ぎてグローバライゼーションだ、成果主義だとやって、かえって泥沼に沈みこんだ企業群をわれわれは見てきている。そこで、それらのシフトの原因となった仮定が間違っているとする。つまり反省し過ぎて、本来は原因が無いもの、つまり日本式企業システムに原因を求めてしまったことが間違っていたということだ。バブル経済が崩壊すれば、逆転してデフレ基調になり、その結果、商品市場に物があふれ、その結果、労働市場に失業者があふれることになるという経済の動きと、日本式経営には何の関係もない。
一方、SIについて考えてみる。
これは、IBMが持ち込んだシステムを時間をかけて日本流にアレンジしたものと言える。その原動力となったのは、銀行の第一次~第三次までのオンライン化だ。また、それとは別に国鉄の予約システム開発もある。
だが、かたや平安時代の荘園システムに端を発する1000年の日本式企業システムに比較すれば、たかだか半世紀の歴史しかないものだ。
マッチするはずがない。
そこで、1000年SIerが生存した状態を想像して、それにあわせてシステム構築のありかたを考え、それにすり合わせていくことが実は、最も正しい日本企業用のシステム開発のありようではないか?
とはいえ1000年未来を予測するのは難しい。
そこで、逆に考える。1000年前のシステム開発と、荘園システムなり、武家システムなりの組み合わせから、開発のありようを抽出すれば、現代の日本企業で成功するシステム開発のありようというものが見えてくるはずだ。
つまり、洋魂和才がSIerの生き残る道なのだ。
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