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新国立劇場でカヴァレリア・ルスチカーナと道化師。
最初にカヴァレリア・ルスチカーナ。マスカーニのハープとピチカートを多用した面妖なオーケストレーションは素晴らしく美しい。メロディーも覚えやすくきれいだし、大好きな作曲家なのだが、舞台できちんと通して観るとうんざりした。退屈きわまりない。一本調子だからだ。まさに映画音楽。特に一幕最後のサンタとトゥリッド、サンタとアルフィロのやり取りの下世話っぷりに目がくらくらする。そういうことはわかっているにも関わらず、マスカーニは好きなのだが、まじめに舞台で観るのは相当辛いものがある。というか、舞台で観るのは初めてだった。
トゥリッドさんはフラッカーロで、いつもプログラムに載っているポートレイトだと太っちょにみえるのだが、実際にはちょっとずんぐりはしていても、普通にシチリアの酒場の息子に見える程度にはスマートで、あれ、こんな歌手だったっけかな感がある。サンタ(サントゥッツァと書くとくどい名前だと子供が言うのだが、確かに日本語で表記するとすごい名前だな)はなるほどサンタだという外見だが良い歌手。アルフィロが実に良い。
舞台はアゴラ風なところに、黒衣の女性、白シャツ野良着の男性がうろうろ。復活祭の準備のための生々しい磔刑像が置かれている。良い舞台だ。
それに比べると、道化師は見事だ。レオンカヴァッロとマスカーニの才能の差は、リストとタールベルクくらいある。でも後世の評価はショパン(プッチーニ)に持って行かれてしまうわけだが。
まず、何度聴いてもトニオの前口上が素晴らしい。楽想をぱっと切り替えてゆったりした朗詠調にして主張を強調するうまさ、ヴェリズモという新しい芸術の宣言であり作品解説であり、それ自体が素晴らしい歌であり、19世紀のトリを務めるのにふさわしい傑作だ。
舞台でみると、とにかくトニオが良い。歌手も良い。歌手も良いという点では、単にきれいな声でオーケストラをほとんどつけずに気持ちよく歌う2幕のアルレッキーノというかペッペの歌が良かった。見せ場が多いオペラだ。
最後、コメディは終わったと宣言するのは、カニオではなくトニオ。カニオが言うから悲劇性が強調されると思っていたのだが、トニオが宣言することで、前口上のヴェリズモ宣言の続きだということが初めてわかった。浮ついた、現実世界とは無関係な、喜劇は終わった、これからは現実芸術だ、という力強い宣言なのだな。カニオが言えば、それはコメディの延長線上となる。しかしトニオが言うことで、舞台の上のコメディ→ドラマをさらに外部から観察する芸術家のメタな視線でのヴェリズモ宣言が完結する。
途中でカニオに変えたのは、宣言としての完成性よりも、観客に受ける同時代のエンターテインメント性を重視したと考えれば、100年以上経過した上演においては、元の宣言に戻すのが筋に合っている。
指揮は緩急自在なのだが、速いところではちょっと金管が追いつかず、衣装をつけろは何が何でも遅すぎる気がした。が、不満はなかった。
良い舞台だった。
#道化師を観ていて、イル・ノーメがやたらと耳につき、次に観客のなんという迫真の演技! 泣ける! で気付いたが、もしかすると、ほんの少しでも、これが最後の作品とトゥランドットを書き始めたプッチーニが、近代イタリア歌劇の最初の作品を思い出して、近代イタリア歌劇最後の作品としてトゥランドットを位置付けたのではないかと想像したり。新国立のトゥランドットの演出が、サーカス小屋での上演だったのは、演出家もなんとなくそういうことを考えてみたのかなぁとか。
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