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子供がおもしろいから読めといって貸してくれたモチーフで読む美術史を読みはじめた。
美術というのは記号の塊だし、当然、相当の記号は理解しているのだが、辞書的に項目を網羅して(1項目2ページ+サンプル2ページ)あると意外な発見や全然知らなかったものやそんなの知らないやというような周辺事情なども語られていて、実に発見や驚異に満ちていて確かにおもしろい。
いきなりおもしろかったのは、兎、鼠、猫で、これらはいずれもネガティブな記号なのだが(にも関わらず兎は知らなかった)それが20世紀になって宗教的文脈抜きにポジティブ化された(ディックブルーナのミッフィー、ディズニーのミッキーマウス(おれならワーナーのジェリーだな)、猫は本書では特に言及がないがトムでもフェリックスでもなんでも良いけど)というのにいろいろ考えるところがあってしびれた。
特に兎は多産の象徴なのでポジティブな記号なのかと思っていたら、全く正反対で、多産のきっかけのほうが重視されて淫欲の象徴でキリスト教の視線からはまさに邪悪そのものであり、そこからティツィアーノの兎の聖母(いや、このタイトルがミスリーディングを招くだろう)では、聖母が押さえつけることで、禁欲的でありそれがまさに聖母であることを意味しているとういのには驚いた。
が、ルーブル美術館の説明では
うさぎは古代より肉体的接触なしに繁殖する動物と考えられており、そこから聖母の処女性、そして処女懐胎を想起させます。うさぎの白色もまた聖母の純潔のしるしです。
となっていて、ノンバーバルコミュニケーションの難しさも思い知るのであった。
ペテロの鶏は、先日グエルチーノを観てしっかり覚えた鍵と並んで、それはそうだと思いながら、ふと先日観た沈黙を思い出す。
あのペテロでさえ(あるいは、それゆえ「あの」ペテロになったとも言えるわけだが)、キリストを3度裏切り、それをイエスは予見していながら少しも非難はしていないのだ。ペテロの最期ばかりを強調するのはむしろ正しくないのではないかと考える。結局、人間の外部にある契約主体である神という概念を逆に超えて内なる信仰へと転化させたのがキリストの本来の教えであると考えれば、殉教を貴ぶカソリックこそが誤りであろう。
牛や羊と異なり草を食べないことから卑しいものとされた豚(さらにはユダヤ教やイスラム教では不浄とまでされて食べること自体がタブーとなってしまう)が、にも関わらずドイツではデューラーはじめ豚を活き活きと描く(日本の場合もネガティブな意味付けをされているため描かれることがない)くらい重要な家畜という指摘も興味深い。
それにしても全く知らないことが多い(上に示したルーブルと異なる意見の場合もあるので、それは当然という気もするが)。
矢の項で説明される聖セバスチャンが同性愛の守護者として象徴化されたなんて知るわけがない(もちろん知らぬはおればかりという可能性は高いが)。本当なのかなぁ? 三島由紀夫の文脈を持ち出すのは相当本書の範囲を逸脱している気がするが19世紀末としているので、西欧でもこちらが知らない裏の美術史ではそういう解釈もあり得るとは思うが。確かに矢を男性器の象徴と捉えることによって、身体中に矢を突き立てられたセクシーな若い男性である聖セバスチャンをそう捉え直すというのはありそうではある(というか澁澤龍彦あたりが論じてそうだ)。
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