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さらば、愛の言葉よを見ていて、そういえばおれはシェリーを読んだことなかったなと気付く。
それが蟠っていたので、先日古本屋に行ったときに、岩波文庫の縛(それにしても、「縛め」と必ず、どうやっても送られてしまって、その都度修正しなければならなくて面倒だ。教養がないIMEってやだなぁ)を解かれたプロミーシュースがあったので、薄くて良いやと買って読みはじめた。
が、えらく読めない。本気の詩文ががんがん入るのは良いが、読み慣れた北園克衛のような文字による詩ではなく、言葉による詩なので読みにくいこと甚だしいからだ。というわけで薄い本なのに通算で2週間はかかってしまった。
縛を解かれたプロミーシュース (1957年) (岩波文庫)(シェリー)
読んでいて、なるほど、確かにゴドウィンの弟子だ! と感じるところは多い。というよりも、こういうかたちで観念的なアナーキーが芸術として結実していたのかと驚いた。全然知らなかった。
当然のように、世界を支配する絶対権力であるジュピターは最後深い淵へ落ちていき、主のない世界が到来し、プロメテウスは解放される。
それにしても第三幕の第一場はびっくりだ。それまで延々とプロメテウスを縛り付けていた張本人であるジュピターが出てくるなり(幻影としては一幕で出てくるが)退場してしまう。
おまえたちが仕えている者の栄光と力を共に領持って、ここに集っている天のもろもろの力よ、喜べ。今から後、私は全能だ。
というジュピターの高らかな勝利宣言で始まるのは良いが、その4ページ後には、
ああ、ああ、諸元素も私には従わない。眼が眩む、沈んで行く、永遠に、永遠に、下に。そしてかなたに居る私の敵は雲のように、勝利をかざして私の墜落を暗くする。ああ、ああ。
と、デモゴーゴン(さっぱりわからない概念的存在だが、永遠というものらしい)に引きずられて奈落へ沈んで行く。
もちろん本当のアナーキーなので、アメリカ風のリバタリアンではなく、あくまでも愛と愛を交換する世界の到来となる。当然のように、プロメテウスは解放されたからと言って自分が玉座に腰を下ろすわけではなく、洞窟にエイシャと共に籠ってしまう(この洞窟というのがベーコンのイドラの一種ではないのは当然として、では何かというとさっぱりわからないのだが、シェリーの頭の中では良きもののようだ)。
解説に書かれているシェリーその人の逸話もいろいろおもしろい。
最初の奥さんとの間がうまく行かなくなるのと同時並行でメアリー(ゴドウィンの娘)と懇ろになって、最初の奥さんにクソ真面目に「君は魂の妹だから、メアリーと3人で仲良く暮らそう」と手紙して罵られたり、メアリーとヨーロッパへの駆け落ち旅行中(このときメアリーは17歳)に(これまた大真面目に)「楽しいから君もおいでよ」と手紙して罵られたり、大杉栄と同じ思想の持ち主ならではの豪快さがある(が、ついていけずに最初の奥さんは自殺してしまい、晴れてシェリーはメアリーと結婚することになる。このときシェリーは24歳、メアリーは19歳)。
というわけで読んでみれば発見もありそれなりには面白くもあったが、18~19世紀を駆け抜けた自由主義の文学者であれば、切実さと現実主義のゆえにシラーのほうが好きだな。
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