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日曜の初日があまりに素晴らしかったで続けて観に行った。
冒頭、シロフォンが目立って、頭の中ではショスタコーヴィチとか同じく20世紀の作曲家の作品が浮かび上がる。
演奏と指揮はやはり素晴らしい。特に2幕には頻繁に、3幕ではここぞとばかりに総休符(ゲネラルパウゼと呼ぶんだっけな?)が入るのだが、それが実にきれいに止まり、早過ぎもせず遅滞もせずに次が始まる(2幕は観客の咳や身動きがうるさかったが、3幕では完全に沈黙が訪れて素晴らしかった)。他の演奏は知らないから比較はできないのだが、間の取り方ひとつとっても見事なものだと思う(指揮はトマーシュ・ハヌスという人)。
演出はやはりうまい。2幕の最後のほうでの3人の位置と向き。3幕でのシュテヴァの位置。イェヌーファの友人たちの祝福の歌の後の手をつなぐ円陣の踊りを拒否するコシュヴァとコステルニチカ(この二人はイェヌーファを挟んで鏡の両側のような関係に見える)。
歌。1幕の不安になっているイェヌーファ、高い塔の合唱の後のシュテヴァとイェヌーファ。観た場所が日曜のほうがはるかに良かっただけに、イェヌーファの声の響き(ごくまれにしか耳にできない、倍音を豊かに含んで声の内部で共鳴するような音が出ていた)は日曜のほうが良かったが、それでもやはり美しい(ミフャエラ・カウネ)。
コステルニチカがさんざんブリヤ家を罵ったところで突如立ち上がり歌う祖母の朗々たる歌声。すげぇと思ったら、代役でヘロディアスを歌うらしい(ハンナ・シュヴァルツ)。そのあと、奇妙なカノンみたいな合唱になるのだが、このあたりの音楽の動かし方はオペラとして実におもしろいと思う。
2幕になるとコステルニチカとイェヌーファの歌。夜になっておやすみなさいのイェヌーファの歌、コステルニチカのあの娘は反省しないの歌、イェヌーファのアベマリア。
演出と指揮のタイミングがばっちりで素晴らしい、誰が救ってくれるの? それは僕さのラッツァの登場シーン。窓の下に死神がいるの直前の窓。最後の二人が手に手を取って(ここまで常に距離が取られている)後ろ向きに歩み出してちょうど黒い背景部に入ると同時に暗転し曲が終わる。
コソウテルニチカの役はこの演出だとマイムによる演技が終始必要になるようだが、これもうまい(ジェニファー・ラーモアという人)。
この演出だとシュテヴァは30近くに見えるのだが、実際の物語としては18歳くらいなのだろうか(徴兵の件もあるのでそんな感じがする)。それに対してラッツァは5歳くらい上で、イェヌーファは16歳くらい。するとラッゥツァはイェヌーファからは年齢が上過ぎて全然恋愛対象ではないのは不思議ではない(物語的に別にヒキガエルのような男というようには思えない)。すると、自己座敷牢+出産+別れの1年で、精神的にイェヌーファがはるかにラッツァより大人になるのは不思議ではないかな(3幕、イェヌーファがシュテヴァに向けて子供ね、というセリフがある)。
ラッツァは最初観た時はちょっとストーカー的な偏執を感じて気持ち悪かったが、2度目になると、シュテヴァの子供を育てるのはごめんだなとか、イェヌーファの顔を傷つけたことの責任を取ろうとしているとかが見えてきて、それほどおかしくもないなと考えなおした(一幕でもストーカー的というよりは、シュテヴァに対して嫌がらせをしていると考えれば、子供っぽくはあるが、それほど気持ちが悪いわけでもない)。
と、舞台作品として実にうまいものだが、ヤナーチェクの音楽がそれに輪をかけて良いのだ。ドヴォルジャークがまさにそうだが、少なくとも有名なチェコの作曲家はまず何よりもメロディストのようだ。
(金管の使い方。2幕のソロヴァイオリン。シロフォン)
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私も初日で痺れて、土曜のチケットを買ってしまった・・・。<br>ところで原作の小説(戯曲が先の様ですが)ではイエヌーファはラッツァと恋仲だったのが、ラッツァが兵役に取られていた間にシュテヴァと出来てしまったというストーリーらしいです。
どうも! 原作がそうだとラッツァが意地悪だったり、コルシカ生まれでもないのにナイフを振り回したり、コステルニチカが妙に厳しかったりするのは、一応、ろくでもない連中だというエクスキューズがあるのですね。