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妻が、図書館におまえがすきそうな本があったから借りてやった、読みやがれと渡してきたので読んだ。
靴下の煮しめを飲みながらページを繰る。30年前に読めたら良かったのにとまず思う。これこそ高校生のときに読むべき作品だ。おもしろいが気力が湧かないからだ。およそ書籍として考えられるぎりぎりまで文字が詰め込まれているのだ。
最初、固有名詞の氾濫に呆然とし3ページ目で気力を失いかけるが、バルダミュが話しかける。この世は旅だ昼の旅、夜の旅。優雅な金持ちっぷりは世界の果てに連れてってくれそうだがそうではない。
虫けらがひねりつぶしに来て、はて、これはいったいなんだ? と考える。逆からみたヴィシー政権なのだろうか。
セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ(L.F. セリーヌ)
パルトルがサルトルとしてあちらを通り過ぎる。マドレーヌの香りが記憶を呼び起こす。
訳注がすさまじい。1ページあたり優に10を越える注がつく(それでも不足に気づくところもある。世界はまだらにしか認識できないものだ)。それに輪をかけて固有名詞が飛び交う。1/10程度しか知識が追い付いていない。訳業は大業だ。中学生や高校生であれば、この訳注から飛躍的に教養が広がるだろう。まだまだ世の中には知らない作品があり、読むべき刻印がある。
ゴダールみたいだ。
そこで1968年の作品と知る。フランス文学ですなぁと納得する。怒っているのだ。ニザンのようにセリーヌのようにゴダールのように。とにかく怒っているのだ、無知に世界に人々に歴史に自分自身に。しかも愛しているのだ、無知を世界を人々を歴史を自分自身を。文学的衝動が奔流となり抱え込んだ教養が一気に噴出して作品が生まれたのだ。であれば話は早い。心の底から作品世界を楽しめばよいのであった。
主人公のユダヤ人はあるときはSSになり、あるときは殺人者となり、学生となり、誘惑者にして誘拐者となり、建国直後のイスラエルに渡りキブツで拷問を受け殺されそうになり、そこで一目で女性中尉に救出されてパリにとってかえし、ブーローニュの森でイスラエル警察に射殺される。
凝縮された夜の果ての旅への返歌となっている。常にセリーヌの亡霊がついてまわる。しかしモンマルトルの丘で出会っては失くしてしまった人たちの姿が浮かび上がるような感傷はとっくに終わったあとのことだ。
(アマゾン評かくあるべしな評で五つ星がついていて気分が良い)
何十年ぶりかで堪能しまくった。
それにしても一番の謎は、なぜ妻がおれがセリーヌの作品を愛していると知っていたのかだ。(思い出した。セリーヌの引用に衝撃を受けていたからだ(いや、たぶんそれより数日前のはずだ)。)
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