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東劇でルイザ・ミラー。
最近えらく気に入っているソンニャヨンチョバがタイトルロール。
ルチアと同じで、当時のヨーロッパから見た未開の王国イギリス(スコットランドかもしれないけど、ドーバー海峡の向こう側)の野蛮人が封建領主の支配と圧制に苦しむ物語だということくらいしか知らずに見る。
村娘がルイザミラーの誕生日を祝うために家に押し掛けるところから始まる。
やたらと不吉だ不吉だと呪いを吐く、退役軍人のミラーさん(ルイザの父親)がドミンゴで、本当にメトはこの声が出ないむさいおっさんのこと好きだなと斜に構えて観ていたら、1幕の娘の結婚は本人の自由意志に任せるのであって父親だからと強制できるはずないだろの歌唱には驚いた(この歌は最初の「なんてこと言うんだ」からしてえらくかっこ良いが、後でシラーの作品だと知ってこれまた納得した)。この役については見事だし、咳で最後までまともに歌えなかったイルトロヴァトーレと違ってここでは声も通すし、悪くないどころか立派だった(カーテンコールでは最初、傲然と構えていてなんだ? と思ったが、腰が曲がらなくなっていてお辞儀ができないのだった)。数年前は老醜を晒していていやだなと思ったが、ここまで来ると、お呼びがある限り全力を尽くす音楽家として尊敬に値する。
ヨンチョバは期待通りに良いのだが、結局、この声が好きなのだな。
物語はひっくり返るほどあきれ返るもので、領主の息子のロドルフォのあまりの低能っぷり(そもそも偽名を使ってつきあっていて、ヴルムが正体をばらしたら本気でミラー親子が驚いているところも見届けているのだから、ルイザが罠を仕掛けるなんてあり得ないことにふつうは気づくだろう)と腰のひけっぷり(1幕ではよりによってルイザを刺すとか言い出して親父に殺したらいいじゃんと言われてやめる、2幕ではヴルムに拳銃を渡して決闘しようとしてあっという間に逃げられる、3幕では苦い苦いと大騒ぎしてルイザに全然苦くないけどとか鼻であしらわれる)、領主と子分のヴルムの卑劣っぷり、公爵夫人の自己中心っぷりに気分が悪くなる。
が、よくよく考えると、この時代の物語だから、ルイザは14歳でロドルフォは15歳なんだから、まともにものを考えられなくてもしょうがないか。公爵夫人もロドルフォと幼馴染ということは14~5歳だからえらく単純に納得してしまうのも、そう考えれば辻褄はあいまくる。
歌手が歌っているせいで、つい20代の青年たちと思って観てしまうからわけがわからないだけのことだった。
1幕、ロッシーニの混乱シーンでおなじみのポンポコリズムを歌いながら順番に心境を歌う(ヴェルディでこのスタイルを聴くのは今回が初めてだと思う)のが、2幕だと完全に無伴奏でおもしろい。ただロッシーニのせいで、このタイプの歌は喜劇の狂乱の場なのだが、こちらは徹底的な悲劇なので奇妙な感覚を持つ。
2幕はおなじみの曲が流れて(ヴルムがルイザに手紙を書かせるシーン)、ああ、これだったのかと曲想と場面のマッチっぷりにすごく納得した。
2幕のバスの競演は宗教裁判長とフィリポ2世の先取りだな。
3幕のルイザの天国なら自由みたいな歌はベルカントも良いところで、音楽スタイルは無茶苦茶だが、どうもそういう作品(ヴェルディが初期作品の総決算と中期のための助走の実験しまくり)みたいだ(というようなことを幕間インタビューでみんなが語っていておもしろかった)。
幕間のインタビューといえば、1幕後にはヨンチョバが3幕で死んじゃうだけに軽く歌う必要があるとか言い出して、なるほど、これがネタバレというやつかと思った。
ベチャワのインタビューでは、プラシドから何かアドバイスがあったか? というような質問の文脈で、「3幕はオテロで歌えば良い」って言われたけど、そりゃプラシドはオテロも歌うけど、おれは歌ったことないんだよ、と言っていておもしろかった。
ビリーの指揮がとても良かった。序曲の最初の数小節での妙なルバートとそのあとの速度は、導入として見事だった。
というわけで、えらく楽しめた。
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