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良いと悪いの間に、良くないと悪くない、それから並があって、おれの言語感覚では、良いほうから順に「良い」「悪くない」「並」「良くない」「悪い」となる。
悪くないは、積極的には良いとは言えないのだが、しかし並ではない。否定形を使わなければ、まあまあ良いとか、割と良いとかに相当するニュアンスを持つ。良くないも同様で、積極的に悪いと評価はできないのだが、しかし並ではない。どちらかといえば悪い、まあ悪いかなぁくらいのニュアンスになる。
が、ふと、必ずしも常にそう使っているわけではないことに気づいた。
上の5段階の評価は、審美的なことであったり、作品の評価であったり、つまるところ、good/badの間の表現だ。
しかし、そうではなく絶対的な行いの善悪が問われている場合は、そもそも「並」というものはなく、「良い」「良くない=悪くない」「悪い」の順になっているように感じる。正確には「善い」「善くない」「悪くない」「悪い」だろう。その行いは善くない。だが悪い行いではない。その行いは悪くない。だが良い行いとは言えない。この場合、善くないと悪くないは価値的に等しく、その時点の文のつながりや、善悪どちらを強調したいかの判断によって使い分けているようだ。
つまるところ、善悪は2元論なので中間がなく、良悪はスペクトラムなので幅があるということなのだと思う。
そこで、最初の良くないは悪くないより悪い評価、というところで、なぜ、おれがそう使うのかについては思い当たる節があって、もしかすると、実は人によって使い方が異なるのではないか、という疑問が湧いている。
おれが、いまひとつだがまあわりと良いかもな、という意味で「悪くない」と評価したときに、人によっては、悪いとまでは言い切れないが、これっぽっちも良くはない(つまり、おれの5段階表現では「良くない」に相当)というニュアンスを読み取られたとすると、それは明らかに齟齬が生じている。
「良くない」は、どうもおれの場合、ファントムオブザパラダイスでポールウィリアムズ扮する悪徳、しかし才能あふれる作曲家/プロデューサーのスワンがオーディションに来たカントリー歌手に対して「not bad, but ...」(正確ではないかも)といってリジェクトする言い回しの「not bad」に影響されている可能性が高い。
このシーンでは、他にもlittle pretty, but ...などいろいろな言い回しでgoodなもの(がフェニックスという女性歌手)が出てくるまでリジェクトしまくるのだが、そこで使われるnot badという言い回し(と、そう評価される歌手の歌)が妙に印象的で、それを脳内で翻訳して「悪くない」という言い回しを決定的ではない肯定として位置付けているようだ。
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ファントムオブパラダイスという邦題は、公開時からツッコミを受けまくっていたが、未だに「ザ」を入れないままなんだな。天国の妖怪(怪人)なのか、パラダイス「座」の妖怪(怪人)なのかは、どえらい違いだし、当然ながらザの有無でオペラ「座」の怪人のバリエーションかどうかが変わるのだから、絶対的に必要なはずなのだが(オペラの怪人とオペラ座の怪人では全然違うってのと同じだ)。
・(原作のフランス語で)パラディと、パロディの語呂合わせでもあるように思えるし、パラダイスと言えば、Les Enfants du Paradis も当然のように想起されるのだが、Les Enfants du Paradis も邦題だと天井桟敷(この場合のパラディの訳としては正しい)の人々なので、もう2つの作品の関連性は日本語ではゼロですなぁ。
ところで、ファントムオブザパラダイスのスワンはカリオストロの城に引用されているということだが、観たことないのでわからない。
#ところで、right/wrongである一方、good/wrongもあり得ることに気付いた。であれば、good/bad、good/wrong対良悪、善悪で、英語だと悪が2種類善が1種類で、日本語だと善が2種類で悪が1種類で、ちょっとおもしろい(おれが持つ悪相当の語彙のバリエーションが乏しいだけのような気もする)。どちらかというとright/wrongは善悪ではなく、正邪の組み合わせのように思える(よこしまという和語は今では悪いに吸収されてしまって、音読みのジャ以外はそれほど利用されていないように感じるが、どうなんだろう)。
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