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何か月か前に学芸大学前に飯食いに行ったとき、道に迷って入り込んだ小路にやたらと品が良い古本屋があったので、つい立ち寄って、なんとなくダニエル・ジェルールドのギロチン(死と革命のフォークロア)を買った。
ちょうどサンソンの本を読んだり、1789を観た頃で、ギロチンに運命付けられていたのだ。
死刑執行人サンソン――国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)(安達正勝)
(えらくおもしろいが、ギロチンではサンソンの歴代記はあまり信用できないもの扱いとなっている)
で、晩飯を食べながらちびちび楽しんでいたのだが、残念、ついに読了してしまった。
著者は、全然知らないが、おそらく英国人なんじゃないかと思ったが、後書きには、ニューヨークの演劇人のようなことが書いてあったので、少なくともアングロサクソンっぽくはある。
なぜ、そう考えたかといえば、この著者は不愉快なことに徹頭徹尾、フランスの第1革命を憎んでいるとしか考えられないからだ。バイロンやディケンズはじめとしたイギリス人の描くギロチンにたいして賞賛が多く、幻想には讃嘆、革命の現実には鉄槌を下しまくり、フランスでのより苦痛を少なくするための工夫には冷笑、王政復古期の虐殺はスルーなど、えらく偏見に満ちている。
ダントンが出てくれば、必ず枕詞に「好色」がつくし(多分ビュヒナーの影響だろう)、ロベスピエールが出てくれば必ず枕詞に「冷酷」がつく。
というような、妙な偏見と、王様やイギリスへの偏愛が目立つが、政治書でも思想書でもないから、そこにさえ目をつむれば、おもしろい。
本書はとても奇妙な本で、ギヨチン博士によるフランス革命直前のギロチンの発明(徹頭徹尾ルイ16世の介在を否定しているし、どういうスタンスで書いているのかえらく不思議な点はある)からフランスでの死刑廃止による滅亡までを、文学や美術におけるギロチンの取り扱いと、当時の死刑を報じるニュースから構成して、どのようにギロチンが人間の死と生に影響したかを記述したものだ。アカデミックではない考現学と言える。
幅広さは圧倒的で、日野日出志の作品が取り上げられているのには驚いた。
でも、日本でギロチンと言えば、絶対、男の星座の太宰治がギロチンギロチンシュラシュシュシュと歌いまくる場面だとは思うが、著者はそれほど日本のマンガに詳しいわけではないようだ(というか、知っていたらある意味妙だ)。
(主人公太一の父親の思い出話として、太宰治が宴席でギロチンギロチンと楽しく歌いまくるシーンが出てくる)
取り上げられた作品で、実際に読んだことがあるのは数編、知っているもので10前後、60%以上はまったく知らないものばかりだ(とはいえ、カスクドールのように知っているとも知らないとも言える微妙なものも多い。それにしても、カスクドールが実在の女性とは知っていたが、乳房丸出しの写真を販売していたとは知らなかった)。
(本物のカスクドールの写真を見たあとだと、シモーヌシニョレの美しさは本当に特別だと痛感する)
というわけで、残虐な刑の追放というかたちで始まったギロチンが、サンキュロットのルサンチマン発露の場として大量虐殺装置に転化し、死の持つ崇高さや恐怖や畏敬が、単なる機械的な作業に置き換わった結果、死刑に道徳的価値がなくなり、大衆娯楽に転化する。その結果、英雄的に死ぬという晴れ舞台化する(ラスネールがここでの主役)。(その一方で、ふくろう党などの反動勢力を持ち上げる英文学をやたらと評価しまくっていて、気味悪い)カリブ海ではヴィクトルユーグが革命→奴隷解放→悪徳商人や農場経営者に対するギロチン→王制復古→解放奴隷の再奴隷化→逃亡奴隷に対するギロチンという180度転換しながらギロチンの刃を落としまくる(カルペンティエール)。
光の世紀 (叢書 アンデスの風)(アレホ カルペンティエル)
(この作家は本書を読むまで知らなかった。無茶苦茶おもしろそうではないか)
かくして死刑がほとんど笑劇と化したことで逆に首にまつわるエロティックなファンタジーが作られていく(19世紀前半)。さらに大衆化することで、メロドラマと凶悪犯罪による死刑の大衆化が進む。ギロチンはすべてをやり直すための救済装置となる。
19世紀末期になりアナキストによるテロルが本格化するとともに、ギロチンは新たな見せ場となりつつ、表舞台から裏舞台へ移る。
ヴィシー政権はがんがん殺しまくる。
しかし、既にギロチンは見世物にもならず、恐怖でもなく、何の役にも立たない。単に、死刑囚をびびらせるだけのうんざりする、しかし厄介な存在となっているのだ。
当然、ギロチンはお役御免となり、フランスは死刑を廃止する。
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