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アトレの宣伝文があまりにおもしろそうだったのだが、結局折り合いがつかずに舞台は観られなかったトロイ戦争は起こらないを録画で観た。
実際には芸術劇場にかかって録画してわりとすぐに観始めたのだが、何しろ鈴木亮平の声量の制御がひど過ぎて1幕の終盤間近で思わず停止してしまって、それから1年近くたってやっと続きを見る気になったのだった。
テレビ録画が原因かも知れないが、とにかく鈴木亮平のエクトールがうるさい。3流オーケストラの金管が制御方法を知らずにやたらとfffでブンスカブンスカ吹き鳴らしているようだ。あまりにうるさいのでボリュームを絞るとmf程度で普通に話しているところがまったく聞き取れない。演出の栗山民也もよくこれでOKを出したもんだ。
が、とにかく物語は興味津々なので観ざるを得ない。もちろんトロイ戦争は起きてこいつらみんな死ぬわけだが、第2次世界大戦を目睫に控えてなおかつジロドゥが何を言いたかったかは20世紀に生まれた人間として知らずに済ませたくはない。
ジャン・ジロドゥ〈1〉トロイ戦争は起こらない(ハヤカワ演劇文庫41)(ジロドゥ,ジャン)
(本で読めばいいんだが、舞台のビデオが手元にあるのに本で読むのはなんか癪に障るアンビバレンツ)
それ以外はまあ悪くないのだ。一路真輝の最初に出てきたときは、何か意志のない霞のようなエレーヌも実は鳥の卵から産まれたゆえに(というセリフがあったような気がするので、レダの娘ということにしているのだろう)人間の営みを鳥瞰しているだけで、内部には暗黒の絶望を持っている(ということが、カッサンドル――江口のりこ、これも悪くないのだがエクトールが大声張り上げるので釣られてかバランスでか大声出しまくってうるさいことも多い――との対話で見えてくる)のだな、と説得力あるし、なんといっても、川久保拓司のパッパラパーのようでいてこれまた絶望を抱え込んでいるパリスも実に良い。
カッサンドルとエレーヌの対決は1幕で唯一それほど言葉がうるさくなく観ていられる。エクトールが不在だからだ。平和の女神のおっちょこちょいぶり合わせておもしろい。
もっとも一番演技がうまいのは、実に気分悪い男を演じていて、観ているこちらが不愉快でいたたまれなくなるほどの嫌な気持ちになってくる、詩人のデモコスを演じる花王おさむという人だろう。
老人、詩人(文弱の徒)という立場を生かして、戦意を徒に高揚させ戦争を煽り若者を死地に送り込み自分は安全な場所で高見の見物を楽しみながら詩を書くと言う最低最悪の人物を実にうまく演じている。あー、気分悪い。
というわけで、熱血漢エクトールは戦場で部下をばんすか殺し、やっと凱旋したものの、弟のスケベ心のせいでギリシャとの戦争になることをまったく望まない。妻はかわいく子供も生まれそうだ。
ふにゃふにゃのらりくらりしているパリスを説得し、わけのわからないことを言いまくるエレーヌをなだめたりすかしたりしながら、詩人のデモコスをごまかし、法学者ビュジリスのプライドを突いてギリシャの違法行為を無視して和平交渉を正当に行うようにもっていく。このシーンについては、デモコスの気持ち悪さ以上に、エクトールとビュジリスの言葉のやり取りがおもしろい。法律の正しい使い方とはこういうものだな。
かくして、どうにかギリシャの使者オイアックス(粟野史浩も、良い演技というか、ギリシャが出てきてから舞台がえらく落ち着くのがおもしろい。エクトールのバカな大声は、凱旋将軍の急な平和主義が周りから浮いていることを表現する演出意図があったのか、と思わず深読みしたくなるわけだが、うるさいものはうるさいので、だめだ)の挑発をかわし、信頼関係を結び、ギリシャ連合軍とは和平ということで折り合いをつけることができる。
・このあたりからエスプリが効き始めてやり取りそのものがおもしろくなる。
・例)(トロイの守護神である)アフロディテに誓ったらどうか? いや、それはあらゆる神々の中で最も嘘つき(ではなく、もっとうまい表現)だからだめだ、とか。
しかし、そこに難物のオデュセウス登場(谷田歩。名演だろ、これ)。何を考えているかわからない様子で誘導尋問を重ね、戦端を開こうとする。(と、最初書いたが、その一方で、すでにビュジリスとエクトールのやり取りで示されているように、上手な言質を考えるための調査とも言える。いずれにしてもオデュセウスの立場は超越的で、そこから繰り出される質問の数々とそれに対するエクトールとパリス(エレーヌは相変わらずの男に対してはふわふわっこをぶりぶりする、このあたりのやり取りは作劇としてうまいなぁ)の苦しい言葉がおもしろい)
エクトールの意志を汲んでパリスですら自重しているわけだが、挑発に乗った大局もなければ政治がわからぬメロスのような船乗りが次々と出てきてすべてをぶち壊す。
民衆を煽る詩人。とにかく戦争をしたい(いや、本人は絶対に戦闘には出ないのだから、「させたい」)のだ。
そこに託宣が告げられる。アフロディテは戦争しろというわけだが(そしてトロイ人は盛り上がる、しかしエクトールは辛うじて智慧の女神の言葉を呼び出す)、智慧の女神は戦争をするなといい、ゼウスはエクトールとオデュセウスの二人で話し合えと言う。
ここはまさに象徴だ。愛は戦争を望み、智慧は平和を望む。そして全能者は何が正しいか知らない。
かくして二人の話し合いとなる。良い舞台に急になるのだが、ときどきエクトールが大声で喚くのだけは勘弁だ。
戦争すれば勝てるはずであり、そうすればトロイを支配下におけるわけでオデュセウスとしては決裂させたくもあり、そうはいっても戦争はいやでもあり、むしろ問題は民衆と偶然だということを知りつつ、しかしエクトールの希望を聞き入れることにし、暗殺を恐れるふりをしながら、豪胆に司令部へ帰還する。
ここまでで、作劇として驚くべきことは、エクトール(平和を希求)とデモコス(戦争を希求)の2人以外は、民衆ではない登場人物は全員、真っ暗な絶望を抱えていることだ。オデュセウスが示す絶望はあまりに重いので、エクトールは天秤勝負に負けを認めざるを得ない。それにしても、これらの上位階級の人々に比べて水夫に示される大衆に対する軽蔑しきった作者の眼差しは、なんというか欧州の政治家らしい鼻持ちならないエリート意識を感じる一方、歴史が証明している通りに正しくてうんざりする。
会話を盗み聞きしていたアンドロマックは未来の不確かさに目をふさぐ(エレーヌやカサンドルと対照的だ)。
そこに、歓待されて酔っぱらったオイアックスが目をふさいでいるのを良いことにアンドロマックにちょっかいを出そうとするが、カサンドルに制止される(? ちょっと覚えていないぞ)。
あれだけ平和を希求していたエクトールは匕首を抜いてオイアックスを殺そうとするのだが(アフロディテの託宣通り、愛こそ戦争を始めるということだ)、あわやというところでオイアックスが帰って行くことになったので安心する。
そこにデモコス登場。あいかわらず戦争を煽りまくる。すべてがぶち壊しになる、とエクトールは抜いた匕首をデモコスに使う。
騒ぎを聞きつけ駆けつける民衆と兵士。デモコスは「オイアックスにやられた!」と繰り返す。
教訓:獅子身中の虫を排除すると決めたら、完全に息の根を止めなければならない。
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