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原作はジョン・アーヴィングで、だから観たとも言えるが、一時期(村上春樹文脈で)アーヴィングが流行った時期があって、僕が読んだのは「熊を撃つ」だけだが、映画はジョージロイヒルのガープの世界(これは傑作で未だに相当のシーンを覚えている)とホテルニューハンプシャー(女優がジョディフォスターだったことしか覚えていないので、映画としては凡庸だったのだろう)は観た。
(過激化したフェミニズムという文脈で現時点的でもあるのは、これもまた神話だからだ)
で、30年くらいたってサイダーハウスルールを観たわけだ(映画は1999年のもの)。
期待通りのアーヴィングのほら話によるアメリカ近代神話の創造(このタイプには傑作が多く、映画文脈だとビッグフィッシュが記憶に新しい)で、山の上の孤児院がある駅に煙を吐きながら汽車が到着するところから始まる。良い映画には煙が必要だというのは、少年、汽車に乗るの宣伝文に蓮実重彦が書いた言葉だったかな。その最初のシーンで約束されたように当然の傑作だった。
孤児院の院長のマイケルケインの独白で、最初は一切言葉を話さない(赤ん坊の名前の由来を話すところでこの時の引き取り手が無教養であることが示されるが、ちょっと逆方向で先日観たリチャードジュエルを思い出した。こちらはマッシュにかけた地口をジュエルが即座にわかることで教養人であることを示していたわけだが)、次は泣き止まないという理由で2度も孤児院に戻されたホーマーの物語が始まる。主人公の出自に異形っぷりがあるところからして神話なのだよな。
孤児院で(結局引き取り手がないため、院長が息子のように育て、教えることで、産婦人科医、小児科医として立派に通用するまでに)成長したホーマーは、若いカップル(空軍中尉とその恋人)の堕胎手術を手伝ったあとに一緒に下界へ旅立つ。アーヴィングは今度は放蕩息子の帰還を描きたいのだな。(12/15追加: というか、ホーマーなんだから、放蕩息子の帰還というよりも、オデュッセウスというべきなのに今頃に気づくおれも最初の引き取り手に劣らず無教養だった)
特に行く当てもないホーマーは中尉の身の上話に乗っかる形で、彼の実家の林檎農園で働くことになる。
題名のサイダーハウスルールは、この農園の季節労働者用の小屋に壁に貼られたルールのこと(であり、実情を知らない人間が押しつけ、押しつけられた側はそれを読むことができない(そもそも不要な)ために意味をなさないルールとして、マイケルケインの孤児院での理事会との戦い(というか、堕胎手術を行っていること自体が(米国法-1930年代が舞台なので)ルール違反である)であり、ホーマーが世界との折り合いを見つけること)なのだった。
紆余曲折があり(アーヴィングのストーリーなのでグロテスクではある)結局、ホーマーは「自分は医者だ」と言うことを決断する。
(医者だ、と決断して宣言することで永遠に野球の夢を捨てることになるフィールドオブドリームスのムーンライト先生を彷彿させるが、あれほどドラマティックなシーンではない。が、ホーマー役のトビーマグワイアの淡々とした演技もあって悪くはない)
放蕩息子は帰還するのが神話なので、当然、戻る(一瞬、あれ? 放浪が続くのか? と思わせなくもない状態のシーンにするところがおもしろい)。
そして最後、マイケルケインの代わりに子供達に「おやすみ、メイン州の王子、ニューイングランドの王」とやさしく語りかける。このシーンは構図、音量、声色、タイミング、すべてにおいて抜群で、名作映画とか傑作映画の名台詞名シーンの歴史に残るだろう。つまり、映画としてとても良かった。
サイダーハウスルールの結論は、壁に貼られたルールには従うつもりが一切ないもの(ベッドでの喫煙)、そもそも有り得ないもの(屋根で昼寝)、1つで充分なもの(3条ある屋根についてのルールは、「屋根に上るな」の1条で良いと労働者に指摘されている)で意味がない。ルールは実際にそこで生活するものが決定するというものだ。決して、ルールを無視するでも、ルールを破るでもない。
だからホーマーはマイケルケインが敷いたルール(自分の後任として医師になること)に反発(という積極的なルール破りではなく、自分が見たことがない世界(象徴としてはオーシャンとロブスターだ、あとセックスもおそらく含まれるのだろう、そこはアーヴィングは現代人だ)についても知らなければルールできないという衝動なのだろう)して孤児院から出て行くが、結局、そのルールに(おやすみなさいの言葉を含めて)従うことになるのだが、重要なのは帰還前の放浪により自分でそのルールを選択するという決断をしたことなのだった。(つまり、アーヴィングの作品らしく、まさにアメリカの創世神話なわけだ。が、この自分がルールをルールするというアメリカンな考え方が、オバマプランを否定してコロナ自粛を否定してと、弱い立場のものがさらに弱い立場に自分で追い詰めていく、少なくとも第三者視点からは実に愚かなルールなところが、矛盾なのだとは思う)
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