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70年代(77年より前ということになるのだけど)の文化にはあまりというかほとんど思い入れは無いつもりではあるが、それでも幾つかどうにも原点のようなものはある。
ということに、宮谷一彦の死で気づいた。
宮谷一彦の作品は、全盛期ではなく、おそらく80年代に入っていたかも知れないが、青山ユアーズの裏にあった喫茶店に置いてあったジャンピングジャックフラッシュが収録されている作品集(おそらく青林堂から出ていたものなのだが、その記憶が確かなら、主な発表の場がCOMなのに、COMの出版社が無くなっているためガロの出版社から作品集が出ていたというのは皮肉な感じがする)を何度も読み返した。光と影の書き分けが強烈であり、ここぞとばかりにアップになり、筋肉の動きが強調されるところに、何か普通ではない表現を感じたのだろう。
結局おれにとっての70年代文化というのは、小学館が先鞭を切ったマンガの文庫本で買った赤色エレジーと真崎守のはみだし野郎の三部作と(同時に買ったつげ義春は別格で時代性というものは今にいたっても感じない)、後から読んだ宮谷一彦なのだった。これで見ると林静一だけが異質で、真崎守と宮谷一彦はいずれも肉体の描写が(前者はマンガ的な丸みのある絵で、後者は荒っぽい素描に近い劇画的な絵という違いがあるが)生々しく、暴力的なところがある。
このうち宮谷一彦と林静一がいずれも後年のデルシャノンについて言及している感じ方の差が興味深い。
宮谷一彦は1971年のライクアローリングストーン(ジャンピングジャックフラッシュを書いているくらいだからストーンズかと思ったら、ボブディランからということを書いている)の中で、67年版のランナウェイについて言及している。サンキューというMCに自分が呼びかけられたかのようにジーンとしたというようなことだ。
一方の林静一は、91年のPH4.5グッピーは死なないの中で、年取ったデルシャノンが唯一のヒットであるランナウェイをボサノバにアレンジして歌っているのを聴いて物悲しくなったと書いている。
どちらも61年のランナウェイを聴きまくり、それから片や10年後に力づけられ、片や30年後に寂寥を覚える。が、その感想の持ち方が、それぞれの作風の違いに合っていると思えてならない(いや、それが70年代ど真ん中とそれから20年が経過した時点の違いということもあり得るが、それ以上に作風とのシンクロを強く感じる)。
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