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レオノーラがリーゼ・ダーヴィドセンだし指揮はヤニックネゼセガンだしで、運命の力を観に東劇。
以前新国立劇場で観てひどい話だと思ったが、メトのトレリンスキによる新演出はうまく再構成していて(あと字幕の翻訳家の改変(用語を中世から現代に置き換えたりする。たとえば4幕で兄貴がメリトーネの誰何に対して「おれさまはカヴァレロだ」と身分を明かすところの「カヴァレロ」を「紳士」と訳すとか。もちろんメリトーネは「け、何が紳士だ、ぜいたくな。今日からお前の身分はごろつきだ」とかぶつぶつ言うのだが、この男が長じてトスカの堂守になるのだろうというか、オペラ的には修道院の下っ端はそういうものだという了解があるのだろう)の仕方がうまいのだと思う)、まったくおかしくない。イル・トロヴァトーレのほうがよほど無茶苦茶だ(運命の力は脚本をリゴレットの人が担当していたってのも大きいかも)。なぜ新国立劇場で観たときは異常な作品と感じたのか不思議だが、おそらく最初のレオノーラの父親の殺しっぷりがあまりに印象的だったからかな?(あと、修道院の描き方によるのかも知れない)
演出上の最大の工夫は、レオノーラの父親と修道院長を同じ歌手に割り当てたことにある。それによって、修道院の決闘を親父が眺めるとか、最後の修道院長の言葉を親父に重ねるとかが実に効いている。
それ以上に抜群なのが4幕冒頭の修道院による施しの場で、戦争によって大量に発生した被災者への食糧配給を、新自由主義に凝り固まったメリトーネの、働かないくせに飯を寄越せと権利ばかり主張する乞食いや犯罪者ども(不正受給者)といった罵りや扱いが極めて現代的な情景として浮かび上がってくるところだった。
歌手はまったく素晴らしい。メリトーネが端役ながら存在感抜群なのは上述の演出のせいもあるだろうが、ドンカルロのゴロヴァテンコはもとより、ブライアンジェイドのアルヴァーロの陰影ありまくりの歌唱も絶品、リーゼダヴィトセンのちょっと鼻にかかるような音は気に食わないがしっかりとした特に高音の美しさは見事だ。メト的には第2のフラグスタートなのかなぁと思ったが、レパートリーを増やす方向でブッキングしているのも興味深い。
幕間で、珍しく合唱指揮のパルンボが長いインタビューに応えていてこれまた興味深い。なんか眼鏡白髪の頑固者っぽい印象(もちろん合唱がすばらしいということは指揮者が抜群なのだろう)が新国立劇場の三浦に重なる印象があるのだが、2幕の合唱の移り変わり(最初は荒くれものたち、最後は修道僧による「オルガン」と表現していた)についての音楽としての構成の見事さや修道僧による合唱の美しさについての力説っぷりや、「さあ、度肝を抜かせてやろうぜ」(不正確)みたいな団員への激励とか、観ていて実におもしろかった。
良いものを観られた。
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