トップ «前の日記(2025-02-09) 最新 次の日記(2025-03-02)» 編集

日々の破片

著作一覧

2025-02-11

_ ケインとアベル

母親がこれむちゃくちゃおもしろいといって100万ドルを取り返せを貸してくれたのが半世紀前のことだから、どれだけ人気の息の長い作家なのかと驚くべきだが、ジェフリーアーチャー原作(多分読んだはずだが全く記憶にない)のケインとアベルに子供が誘ってくれたのでシアターオーブ。

百万ドルをとり返せ! (新潮文庫)(ジェフリー アーチャー)

多分最初に読んだコンゲームの作品

確かどえらい大河小説だった記憶があるのだが、休憩入れて3時間にまとめあげた脚本家の手腕がまずすごい。語り手をアベルの娘(とは知らずに見ていたので2幕での早変わり(服が変わるわけではなかったようだが、ナレーターという特殊な立ち位置から舞台の中の演劇空間にすっと入り込むところ)の演出もうまい。

ただ、脚本はもろ手をあげて褒められるかというとそうでもなくて、無理やりアベルの子供時代(ポーランド貴族の息子(最初は庶子、途中から下男、途中から養子))の敵である侵略者をロシア(第一次世界大戦中なのでソ連ではない)にしたせいで、たかだかミドルティーンの子供がユーラシア大陸を横断して脱出したことになる(セリフでシベリアにいたことになっている)のが無理し過ぎなうえに、そのせいで、なぜかアベルが第二次世界大戦に参戦する理由が、欧州から逃亡する羽目になった恨み骨髄のソ連と戦うためという設定で、同じ連合国なのに何を血迷っている? という無茶ぶりがひど過ぎて、さすがにこれはひどい。

ポーランド侵攻やアメリカの対戦相手をドイツにどうしてもしたくない、どういう理由があるのか全く理解できないのが大問題。

が、それを除けば、役者/歌手(特にアベルに重点がある)や良いし、ワイルドホーンの曲も気にならないし、物語そのものはおもしろいので実に楽しめた。

ただ、舞台がアメリカなせいか、同じ1900年生まれの二人の男の対立の物語としてはベルトルッチの1900年をまた観たくなって、多分、おれはこっちのほうが好きなようだ。ケインとアベルはホテル王対銀行家だが、1900年は大地主対農民革命家という偉い違いがあって、多分、資本家同士討ちよりも階級闘争のほうが闘争のダイナミズムが大きいだけに好きなのだろう。

1900年 (2枚組) [DVD](ロバート・デ・ニーロ)

_ 『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』読了

超大傑作ではないか。正直圧倒された。色眼鏡(※)は良くない。

人物設定と各登場人物への最大限の敬意(これが本当に素晴らしい)、物語の構成、情景描写、文化的奥行き、全てが完璧。あまりに深くて自分でも信じ難い余韻。

心底驚嘆した。これこそ文学だ。

2人出てくるリンポチェの特に年寄りの方の宗教観のインスタンスかな。とにかく各登場人物それぞれの背景事情から導かれる行動原理と心情の描き方が見事だ。

因みに俺は国民党の中隊長のユーモアと余裕(とは言えいつ殺されても不思議ではない)と撤退戦に1番好感を持った。

白い鶴よ、翼を貸しておくれ: チベットの愛と戦いの物語(ツェワン・イシェ・ペンバ)

10%読んだ時点で書いたのは

1924年(大正13年)、サンフランシスコから若い夫婦の宣教師(ルーテル派)が上海へ向けて船出するところから始まる。

上海でルーテル派中国支部の長老からチベット奥地に教会を建てる任務を与えられる。その地の入り口でかって長老は村人たちに襲われて全身の骨を折られるほどの暴行を受けたことがある。現在に至るも未教化の地なのだ。

二人はルーテル派の事務局長と共に四川省へ長江を上り、その地でフランス人の宣教師二人とチベットはタルツェンドまで進む。

おもしろいのは、お互いキリスト教徒というわけでみな和気あいあいとしている点だ。

※ 本編の前の長い編者?による説明文を読んでの印象はあまり良いものではなかった。

『白い鶴よ、翼を貸しておくれ: チベットの愛と戦いの物語』を読み始めたわけだが、まだ本文を読み始める前だが、編者?の前書きがあってそれを読むだけでも情報量が多い。こういう作品は、否応なく党派性が出て来るので、まずそこに触れる部分がある。

作者はイギリスに留学してチベットで最初に西洋医学を学んだ医師でもある。

それはダライ・ラマ13世の方針による。ダライ・ラマ13世(1933年まで君臨)は20世紀初頭のアジア人らしく、文明開化の必要性を正しく(これが正しいのは民主主義と人権という2つの概念から現時点で自明)認識していたので積極的に西洋から学ぶことをはじめたわけだ。

引用『ダライ・ラマ13世はチベットを外の世界と同レベルに引き上げるため、社会的、政治的改革を開始し、チベット初の英語学校まで開設したのである。この学校が教条主義的な僧侶たちによって閉鎖に追い込まれるまでは』

というわけで、チベットの20世紀初頭のダライ・ラマ13世による改革はあっというまに息の根を止められてしまう。宗教人の利権は西洋風の社会観、政治とはそりが合わない。

これこそ、独裁政治(宗教指導者による独裁なわけだ)の問題点でだ。『属人性』というのが本当に問題となるのはシステム開発保守運用ではなく、国家運営なのだ。

というわけで『盗馬賊』に描かれた宗教者による弾圧に抗がう民衆の姿は当然だ。

というわけで、ごくごく一部の特権階級である宗教人とその利権を持つ人たちを除けば、中国共産党による支配は文字通り解放と言えると考えられる。

ちょうど、1946年に米国による占領下に入り大日本帝国の主権を取り上げられて日本国に変わり、宗教的独裁者(が、ダライ・ラマほどの実権があったかどうかは怪しい)の天皇が、政教分離原則にしたがって憲法上の唯一の主権者という立場から引きずり降ろされたのと相似だ。

天皇制が打倒されて米軍に占領されて大喜びした人(の中には英会話帳を売り出して大儲けした誠文堂新光社社長小川菊松とかもいるが、ビジネスだけの話ではない)のほうが、腹を切った阿南のような人よりも多いのは自明(腹を切らずに逃げ切ってうまいことした鮫島タイプも多いわけだが)。

というわけで、作者は2007年にようやく中国支配下のチベットに戻ることができて、『物質的な繁栄と変容に圧倒される一方で、かって幸せな幼少期に暮らしていたデキー・リンカのあったラサの通りで喪失感と郷愁を覚えていた。』

と、要は太平洋戦争/日中戦争前の困難な時期に海外へ移民した(しかし食いつめ者ではなく、勝ち組として。でもアメリカへ渡っていたら強制収容されるので、いろいろチベット人とは立場は異なるわけだが)人がバブルの頃の日本に帰ってきて、なんだなんだこのアメリカかぶれのクズどもの群れは?!と衝撃を受けて曳かれ者の小唄を歌う小説なのだろう。

と、色眼鏡をかけて読まざるを得ないのだが、とはいえ、やはりおもしろそうなので読むのは楽しみだ。


2003|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2025|01|02|03|

ジェズイットを見習え