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IMAXで観るほうが良いだろうと(実際の撮影には使ってないとは思う)、モラージュ菖蒲町。
広告/予告篇の画質と、IMAX用の画質が全然違うのはいつみてもおもしろい。
映画はなんというか、出だしの俯瞰、竜に乗って飛ぶ、狭い坑道の高速移動あたりはともかくとして、まったく3Dにする意味も効果もないような画作りなので、いろいろスタッフの苦労がしのばれる。(たとえば、どう考えても、これはスタンドアローンアプリケーションだろうと、アーキテクチャからUIまで決めて、ほぼ完成しているのに、流行だからと突然HTML+CSS+(Ajaxが間に合わずにJavaApplet)とかで作らされると、こうなってしまうかもなぁという感じ。
それでも、IMAXはきれいだし、音も良いので、価格相応かどうかはともかく、悪いものではなかった。もっとも、物語は、ただただ大団円に向けて筋を通してまとめていくだけの一方通行なので、まったくおもしろくもなんともない。単なる映像体験であって、映画ではない。まあ、たまには悪くはないので、観ている間は空しいとしても、退屈はしなかった。
あとは、家族が買い物している間、ひまだから本屋に行って、現代語訳の梁塵秘抄を買って時間つぶしに読む。
なんか、現代語訳は汚らしくしかも古臭い日本語でがっかりする。が、元ネタが最高なので、つまらないわけではない(おれは後白河の大ファンなのだ)。それよりも、大岡信あたりも、なんかもったいつけた解釈をしているというような解説を読んで暗澹たる気分となる。
現代語訳をしている人がおれよりも年上なので、感覚が古くてあれだが、たとえば「女心の未練でしょうか~」という昭和の詩が、1000年後に古典として「恋人と別れた女性が自身の割り切れない思いをせつせつとして歌い上げた詩である。当時の女性の心境が良くわかる」と解説してあったらどう思う? という話だ。いや、それを書いたのはプロの作詞家で、そういう仮想体験を楽しんだりわが身に置き換えてしんみりしたりしたとしても、それを書いた本人のせつせつたる思いというのは大間違いだ、というのが編訳者の主張。それはそうだよな。
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