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新ドイツ零年を反芻しているうちに、どうすれば、この傑作の興行収入を5億円にできるかに思いが飛んだ。
5億円を面倒なので2000円で割れば、25万ということはこのおおざっぱな計算でも25万人がチケットを勝手(どうやっても買ってに変換できないが(しょうがないので、バイで変換してから「って」を入れた)、しやがれ)くれなければ話にならない。
25万人っていうことは、確か府中市の人口がそのくらいだから、なかなかの人数だ。
出演しているのはエディ・コンスタンティーヌなので、アルファヴィルを観ていれば、あああの人かと思えるかも知れないけど、そんな人知らないというほうが普通だろうなぁ。ということは、役者では売れない。
ドイツ零年を知っていれば、そしておそらく当時ロッセリーニを観た人は山ほどいたかも知れないが、今となっては全然意味ない気がする。イザベラロッセリーニの父親と言っても、イザベラロッセリーニ自体が過去の人っぽいし、かといってイングリッド・バーグマンを出してきても(というか、既に新ドイツ零年とはかけ離れ過ぎたので、こっち方面は意味なさすぎだ)。
とすれば、全然違う切り口しかない。
ドイツといえば、反原発先進国が、おそらく最近の良いほうの(人によっては悪い、あるいは愚か方向の)イメージかも知れない。
うむ、反原発で売るしかないな。
そういえば、新ドイツ零年は、1991年で、もちろんベルリンの壁がなくなった1989-1990を零年としているわけだが、チェルノブイリの事故が1986年ということは、アフターチェルノブイリのヨーロッパの姿でもある。どうせ、ベルリンの壁が崩壊したことなど、25万人には意味ないので、そっちで押し通そう。
と考えると、荒野をサンチョとドンがとぼとぼと歩く姿は、原発事故で荒廃したヨーロッパっぽい。
とかやっていくと、25万人をかき集めることが仮にできたとしても、その配給会社は、くそみそに言われるのだろうなぁ。
で、くそみそに言われないように、実直に配給すると、3000人くらいしか入らないので、同じく2000円として興行収入は600万円となり、600万円では、スタッフの手弁当代くらいにしかならないので、もう2度とメジャーから配給されることはなくなるのであった。
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