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東劇でメトライブビューイング。アルヴァレス(アルゼンチンの人らしい)をトゥリッドゥとカニオに配したカヴァレリアルスティカーナと道化師を観る。
最初はカヴァレリアルスティカーナ。ファビオルイージの指揮が、最初はえらくゆっくりと、しかしだんだんとうまく高揚させていき、最初から期待させる。
演出は両方ともデイヴィッドマクヴィカーで、メトだから全裸はないだろう程度のつもりで観始めたら、これは抜群だった。
カヴァレリアルスティカーナでは黒い長方形の一段高い場を設けて、そこが広場にも、教会にも、トゥリッドゥの酒場にもなる。回りに椅子を配したり、椅子を上に上げたりして、最低限の舞台装置を使ったヴィンラントワーグナー風の演出なのだが、細かな目配りが聴いていて、美しいメロディーにあふれているが単調でどちらかというと退屈な作品に非常な緊張感を与えている。衣裳は黒。男は黒い帽子に黒いスーツで、女性も黒い。
イタリアピアノ名曲選集―ヴェルディ、プッチーニ、マスカーニ、ドニゼッティ 全音ピアノライブラリー(ヴェルディ)
(間奏曲の元ネタが収録されているらしいので買ってみた)
特に1幕が始まる前のローラのことを歌ったそこだけシチリア風らしい歌の前後で、男女3人のダンスが行われるのだが、拒否と罠と絶望がモチーフだと読解したが、それが抜群にうまい。
カヴァレリアルスティカーナは裏切りと復讐の物語なのだが、先日子供と話していてサンタの裏切りの物語ととらえていて驚いた。言われてみればそういう要素はあるのだが、おれにはトゥリッドゥの裏切りの物語だからだ。当然、ローラの裏切りの物語と観る人もいるのだろう。それだけ裏切り合えば血を見ないはずがない。
というわけで、ファビオルイージの指揮、マクヴィカーの演出、エヴァ=マリア・ヴェストブルックのサンタ、アルヴァレスのトゥリッドゥ(それから黒人女性だと思うのだが、アメリカ人名だったローラと、トゥリッドゥのママも)すべてひっくるめて、これまで観た聞いた中で最上の出来栄えだった。あと、アルフィオを演じたジョージ・ギャグニッザ(以前、スカルピアで観て、とんでもないハンプティダンプティだが、逆にその体型のせいで堂々と傲慢な立居振舞となって印象深いが、良く見たら名前もジェームズキャグニーみたいな良い名前だ)の堂々たる馭者も良かった。結局、すみからすみまで良く、マスカーニを見直す。
(カヴァレリアルスティカーナでは単調極まりないオーケストレーション(弦、弦、ハープ、弦、弦、ハープ)が、ロドレッタになると文句なく新イタリア楽派の重鎮と呼べるすばらしい音楽となっていた)
で、道化師。同じくマクヴィカーだが、今度は打って変わってベリズモ。馬に乗ってラセットのネッダが登場(しかも横座り)、トラックが着く広場、舞台小屋、派手な衣装、ボードビリアンを3人使ってトニオやネッダをサポートさせる。シルヴィオはマーロンブランドが港湾労働者をやっていた映画みたいな感じで、1950年代あたりを舞台にしたのだなと感じる(というか、幕間にそういう説明があったような気がする)。
マクヴィカーの演出はカヴァレリアルスティカーナに比べると力量の70%で鼻歌混じりに作っているような感じだ。が、元々抜群に音楽そのものが優れているのでこれで良いのだろう。リラックスした楽しめる舞台でありながら、それだけにカニオがもう道化師じゃないぞと開き直るところは圧倒的だ。まさに迫真の演技、静かに、泣ける、だ。
トニオがアルフィオに引き続きギャグニッザで、少しもトニオではないと思ったが、あの奇妙な体型でネッダに言い寄るところはそれはそれで抜群の説得力だった。
それにしても、ついさっきまでマスカーニも悪くないなと感じていたのに、いざ道化師の最初の音が鳴ると、彼我の才能の差は明らかで残酷なものだ。
レオンカヴァッロの才能は、言葉と思想と音楽の一致で、音楽の瞬時の気分の切り替えにあるのだと思う。その切り替えに最初に目をみはるのが、トニオの前口上の途中なのだが、最初から完成され過ぎているのが不思議だ。
(この中にザザという後年のレオンカヴァッロの作品のかわいい天使さん、お名前は? という曲が収録されているのだが、実に素晴らしい曲(ルネフレミングの声はあまり好きではないので、このCD自体はほとんど聴かないのだが、この曲だけは何十回も聴いた)。一度だけ新国立劇場のミニオペラみたいな企画で上演されたことがあるらしいが是非とも観てみたいものだ)
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