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妻が図書館で江戸の子育てという本を借りて来たのでぱらぱら読んだ。
最初の章が徳川家康が秀忠におくった子育て論で、これがなかなか強烈でおもしろい。
家康の最初の子供(信康)は、母親(つまり家康の妻)は今川一族、妻は信長の娘(ちなみに結婚時、双方12歳くらいで、2人の娘をもうけたが、これが男子が欲しい母親にはおもしろくなく、嫁姑大戦争になったらしい)で、政治的に非常に微妙な位置にあるうえに、武田氏内通者による謀略などいろいろあって、結局、妻が父親(つまり信長)に送った讒言がもとで腹を詰めることとなった。
家康は後になっていろいろ思うところがあったらしい。
で、自分は若く愚かで長子ということでまったくわかっていなかったと反省しながら(老境になってきちんと反省するというのは確かに天下餅を食えるだけの器量人なのだろう)、次のように書いている。これが帝王学というものはこういうものですか、というくらいに生々しくておもしろい。
幼い子はしばしば、自分の気に入らないことを聞くと、そばにある物を投げたり放ったりして壊してしまうことがあるが、「虫気」だからと思ってそのままにしておくことは、親が子どもをますます悪くするようなものだ。(略)
物は壊してもそれだけのことだが、のちには召し仕えている者が気に入らぬことを言ったからと手討ちにし、気がさえざえとするようになるから、病気が根深くならぬうちにはやく治すことだ。
家康は秀忠へ二人の息子の教育用にこうのこしたわけだが、特に次男の国松が駿河大納言忠長になるところが、忠告が遅かったのかそれともそういうものなのかと無常になるのだった。
同じく江戸の子育てで、幕末に日本を訪れたロシア正教会の宣教師ニコライの観察もおもしろい。
春先に道を歩いていると、凧を挙げている子供を見かける。
その凧に描かれている異様な人の顔のことが知りたくなって、子供たちに、それは誰を描いたものなのかと尋ねてみる。子供たちは口々に先を競って言うだろう。清盛だ、尊氏だ、等々と。そしてきっと、詳しく歴史を語って聞かせてくれるだろう。母親や兄が、凧を出して糸を整えたりしてやりながら、その子供たちにこうした歴史上の人物たちのことを語ってくれたのである。凧の裏には、そうした人物たちについての短いエピソードが刷られているものも多い。
2つの点がおもしろい。
ロシアで人の顔が書いてあって子供が家族を通じて歴史を学べるとしたら、間違いなくイコン経由で聖人のエピソードとなるだろう。おそらく、多くのキリスト教国でそうなるのではなかろうか。
でも、お江戸では異なる(ふと気づいたが、中国も三国志や西遊記のお面などから入りそうだから、やはり歴史が主となりそうだ)。
これがまずおもしろい。
歴史上の人物という記号性が薄いエピソードによる教育というのは、聖人のような絶対的な価値基準を持つ記号的人物のエピソードよりもはるかに価値観の多様性を生むのではなかろうか(現実にどう効果があったかはわからないが)。
次に、ここで例示されたものが、清盛と尊氏で、いずれも明治以降、反天皇(あるいは天皇家簒奪)のコンテキストで悪人とされる人物という点だ。江戸→明治、太平洋戦争→戦後の2段階にわたって、歴史の善玉悪玉がころんころんと転回したのだなぁ。これもまた価値観の多様性に通じるはずだ(はずだけどなぁ)。
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