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千葉は埼玉(秩父困民党など民主主義発祥の地だったり北条生き残りの山城が大量にあったり猪俣党の町があったり百穴があったりむちゃくちゃ)や群馬(古墳の数は日本一)とならんで近くて遠い歴史的な秘境なので、会社を休んで妻と旅行。
今回は、佐倉へ行く。
頭の中ではなんとなく安房と下総の間と認識していたが、実際にナビゲーターにしたがって進むとびっくり、千葉市より少し内陸に入ったところ(四街道の先)で日本から距離にしてたかだか70km弱しかない。そんな近かったのか。
というわけで、日本のロビンフッド、義民佐倉惣五郎(宗吾)くらいしか知識を持たないまま佐倉へ向かった。
そんな近いと知らなかったので朝8:30くらいに出発したら9:30過ぎには着いてしまった。
お目当ては城址にある国立歴史民俗博物館で、幸い9:30開館なのでちょうど良かった。
でかい。なんか故宮なみにでっかな建物で驚いた。銚子の新国立劇場の倉庫兼博物館みたいなもので、千葉だけにでっかな場所に倉庫を兼ねた博物館を作ったのかなとか考えながら長い石段を登って正面から入り、なぜかJAFの割引がある入場券を買う。特設展でおみやげというのをやっていたのでよくわからんが、それも付いた入場料を払う。
なんかヒグマの爪のお守りが売っている売店を横目に特設展の会場へ向かう(あとになって、常設展と同じ建物の地下とわかるのだが、入り口がまったく異なるのでどういう構造になっているのか思い返してもよくわからない。
おみやげは、近世、旅行に行った思い出のためというよりも、いろいろなところへ行ったということを周囲に誇ったり、センスの良いものを持ち帰ることで誇ったりするための、承認要求を満たすための仕組みである(という意味)の説明が最初にされている。
したがって、この展示は、そういった旅行者の自己顕示欲を満たすと同時に、そのような自己顕示欲をくすぐり、収集本能をくすぐりまくることで本来価値のないものを売りつけるための経済的メディアとしての役割を持つ観光地経済の中核となる機械の成立と発展、いかに持続させるかといった視点で作られている。さらにはいかに収集本能をくすぐるために同工異曲のおみやげが各地でなぜか作られる(ペナントとか、そういえば展示されていなかったが太い名所名をペイントした鉛筆とか昔買った覚えがあるとか、通行手形とか、絵葉書とか)。
と同時に、おみやげが個人収蔵される場合は旅行という非日常と生活という日常の間の呪術的空間を現出せしめるための霊物としての役割があり、それはおみやげ展示棚(そういえば、爺さん(2人いる)の家にはどちらもそういう棚があり、アフリカ土産やら中国土産やら東北土産やらが展示されていた)は、家族に対しての小博物館としての役割を果たす(なるほど、確かにおれはそれを観てカンプチアのアンコールトムのおもしろさや、ニューギニアの首狩り族などについて知ったのだった)ということが示される。
むちゃくちゃおもしろい!
これぞ国立の研究ですな。
と、展示場に足を踏み入れてたったの2m足らずの間にえらく脳みそが刺激されまくった。
とにかく、この博物館はふつうではない。結局、全体の2/3(そのうち2/3は早回し再生)しか見なかったが、5年分くらいの思考を使ったように思える。どえらく疲れたがおもしろかった。
(とりあえず何十回目かの反芻するのでまずはここまで)
山の上に国立民族学博物館があり、そこが城址ということは位置的に山城に近い(が、江戸時代なのでふつうに天守閣を持つものだろう)のが不思議で、佐倉藩が官軍側だと書いた展示があったことから、外様だったので守りを重視したのかな? と思った。あとで調べたら、逆に東北から江戸へ攻めて来られた場合の要害としての機能が与えられた(むしろ老中輩出の藩というか堀田だし)からだとわかった。あと、天守閣は持たずに櫓を置いたとあって、どちらかというと機能的にも山城そのものに近かったようだ。
新八幡で停めてサンサールで飯を食うことにした。
八幡の藪知らずの本物(筒井康隆の小説の中のラップみたいな言葉の流れの中に出てきて子供のころから興味があった)を見物。びっくりするほど狭い。今はほとんど竹藪。というか、千葉街道はこれまで何度も往復していてすぐ脇を通っていたのに、これが八幡の藪知らずとは意識すらしていなかった。というくらいに小さな藪に過ぎない。
現在も立ち入り禁止。なぜ藪知らずなのかは諸説あるとか説明板がある。
ふつうに考えれば、ツツガムシの群生地なんじゃないかとか日本住血吸虫症持ちのタニシでもいるんじゃないか? と思うのだが。中は湿地帯だか沼だかだそうだし。いずれにしても謎のままに残しておくのはそれはそれでおもしろい。
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