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パンクドラゴンと発音が同じなので、なんとなくずっとトンだと思っていたらジュンだった。
オペラがやたらと良かったので買った紫苑物語だが、あっという間に読み終わって今頃になって一応書いておく。
石川淳の文章の美しさ(言葉の選び方だけではなく連なりによる律動感とそれによる色調)は、座右の書である雨月物語・春雨物語というよりも、樊噲で大いに知るところではあるわけだが、本人オリジナルの作品にはまったく食指がこれまで動くことは無かった。おそらくは、最も日本文学を読みまくったミドルティーンの時期に、同時代の坂口安吾に比較してあまりに浮薄な印象を受けてすぐに興味を失ったからだと思われる。
その意味では、同じように古代・中世の架空の日本を舞台とした安吾の耳男・夜長姫と比べれば、本作(紫苑物語、八幡縁起、修羅)のいずれも物語としてのまとまりも欠ければ登場人物はすべて機械のように動くだけであの頃の読み方であれば興味を持てないのもしょうがなかったのであろう。
が、今になって読んでみれば、浮薄と思われる内容はより大きな流れを背景とした遷ろいとも言え、もとよりの流麗な文章と合わさり、ある絶景の切取としての美しさが見事であった。
特に驚くべきは艶めかしさで、このときとばかりは短い文章にて終わらせるのがむしろ凛として印象に残る。特に八幡縁起の清流と細い糸、鮎、裸足で語る妻取りの条が鮮烈。
物語作品としては修羅の一休禅師の無道を行司として勃興する足軽を無産階級、源氏を資本家、語られることがない公家皇室と、古市党の階級闘争の歴史模擬戦(白土三平の原型のようとも取れるが時期的にはほぼ同じなので昭和30年代のコンテキストがあるのだろう)のおもしろさが群を抜いていて読み返せど興趣は尽きない。
あまりにおもしろかったので、敬遠していた狂風記を読み始めた。
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小説では絶筆の『蛇の歌』をもっと読みたかったです。
絶筆とは口惜しいけど、それも読んでみます。どうも!