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ウルフウォーカーが素晴らしかったので、同じトム・ムーアのソング・オブ・ザ・シーをアマゾンで視た。
主題歌のモチーフの2回目最後の跳躍がとんでもなくて(子供が歌うときは少し外れさせている)相当良い。
こちらは兄と妹の2人組+やたらと大きな犬の冒険物語となっている。
シェルキーという妖精の母親と人間の父親(相手が妖精ということはわかっているのかいないのか良くわからない)から生まれた人間の子供(兄貴。父親そっくり)と妖精の子供(妹、母親そっくり)なのだが、母親が(死産ということと考えて良い)妹と引き換えに不在となったことに、兄貴が相当恨みを持っている(とはいえ、おそらく6歳と10歳くらいと思えるので、少なくとも6年間は恨んではいても、無事に成長できるくらいに面倒をみているが、ついに反抗期が爆発して妹を邪険に扱うのなんのって、という感じだな。あとこれだけ母親に似ていると見ていて辛いのかもなぁとか想像したりもできる)。
魔女の呪いで妖精が死滅していく世界という設定で、妹がひょんなことから妖精として覚醒してしまい魔女センサーのフクロウに見つかってしまい、フクロウからの逃亡劇が始まるのだが(この逃亡が別の逃亡との2重構造となっている)、結局妹は魔女に捕まってしまい力を奪われて死につつあるので、母親から言われた世界一の兄さんになるわという言葉を思い出した兄貴が冒険するのだが、なかなか筋が入り組んでいておもしろい。
ただ絵柄はウルフウォーカーのほうがさらに洗練されていて好きだな(子供たちが妙に平面的なのだ。当然、そういう効果を狙っているのだろうが)。
一方で、本作でも精神の移動を示す不思議なアニメ―ションが、ウルフウォーカーの嗅覚と聴覚の世界認識の不思議なアニメーションと同じ手法で、なるほど意外と技術的には連続性がある(いずれもケルト神話由来っぽいという物語の連続性は別としても)のだなと考える。
神話の世界の物語(悲しみのあまり海を生み出した巨人を助けたいあまりに石に変えてしまう魔女だが、暴走して他の妖精たちも石に変えてしまう)と、悲しみ過ぎている父親を心配する母親(主人公からは祖母)が、暴走して主人公たちを灯台(父親は灯台守なのだ)から町へ連れ出す(理屈のうえでは、学校のことや犬がでかいから置いていく必要があるとかすべて正論で、子供からは悪い婆さんだが実際にはまったく悪くない)とか、そういうあれこれを知っていながら傍観するしかない渡し舟の船長と、すべての知を司るのだがぼけが激しくなっている神とか、いろいろな相似関係を同じ声優を使って表現する2重構造や、危機に瀕しても陽気さを失わない3人組の妖精(妖怪のような多神教世界での神というべきか)とか、物語とシーン、絵の変化のつけかたがうまい。
逃げ道の揚げ戸の上に犬が乗っていて開かないとか細かな描写のおもしろさも悪くない。
そもそも、町へ連れて行かれるタクシーの中で兄貴が目印を地図に書くシーンがあるが、これがおもしろい。子供の地図だが、実にうまい。パイルという単語が高圧電線の鉄塔を示すというのは発見だった。神聖な泉って、アイルランドにはそのての不思議な遺跡というか場所がいっぱいあるのだろうか?(日本での神社やお稲荷さんみたいな感じなのかな)
クライマックス直前での魔女との戦い(というか説得)はなんか湯婆みたいだなと思った。
で、きちんと円環が閉じてめでたしめでたしとなって、良い作品だった。
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