著作一覧 |
新国立劇場でレオポルトシュタット。
オーストリーのレオポルトシュタットに根付いたユダヤ人のブルジョア一家の1899年から1955年までの時々を切り取って描く。2時間半休憩なしで緊迫した舞台が続きまったく弛緩がなく堪能した。
最初、一族らしき人々の中間に食卓を配し、上手にクリスマスツリーで、各自ばらばらに会話をしている。現代劇なだけに常に異なる会話をさせることで全体像を掴ませずに個々の断片のみを観客に与える実験演劇なのか? と思ったが、まったくそういうことはなかった。
やたらと文句を垂れて食卓の周りをうろついている紳士が前半の大きな主人公(が、群像劇なので誰かひとりが突出しているというわけでもない)の当主だった。3代目にして巨万の富を得た工場主でブルジョワだ。彼は融和主義者なのでユダヤの血には興味なく妻はオーストリー人だ。
下手では一族を代表するインテリの数学者(リーマン予想を解き明かすことを自身のライフワークとする)とドイツ(オーストリーかも)人で一族の娘と結婚した民族的偏見を持たない医者。文化人なので、マーラー、クリムト、ユダヤ人抜きにウィーンを語ることはできない(ウィーンっ子というわけだろう)。
一族、それぞれが自分の思想信条にしたがって宗教を選び思想を選んでいる。
子供がクリスマスツリーのてっぺんに六芒星をつけて場面が凍り付く。その星は違うのよ。
女性たちはオーストリー人将校の話で夢中になっている。
主人公は友人のブルジョアの推薦でウィーンの競馬倶楽部の会員になることを楽しみにしている。
が、彼は妻についても競馬倶楽部についてもユダヤ人であることを思い知らされる。
1924年、第一次世界大戦が終わり、息子は片目片足になっている。
シオニストのイスラエル建国の話が出てくる。
数学者はリーマン予想を証明できない。
1938年、すでにナチスはオーストリーに入り込んでいる。イスラエルへの脱出という話も具体性を帯びてきているが、一族の母親は絶対的に反対の立場をとる。
これまでもいろいろ差別されてきているが、頭を垂れていれば風は吹き過ぎていった。
数学者は頭がおかしくなっているが、綾取りを子供たちに教えていると正気を取り戻す。
イギリス人のジャーナリストと一族の女性は婚約している。
クリスタルナハトの日であった(世界同時発生的にウィーンでも起きたのか、象徴させたのかは知らない)。
ナチスの将校が屋敷に乗り込んできて、一族を徹底的に侮辱し、主人公には工場と財産すべてを政府に譲る誓約書にサインをさせ、すべてを没収して帰っていく。
が、主人公はオーストリー将校に認知させているので、工場は息子のものだと説明する。息子はアーリア人の妻とアーリア人の将校の間の子供で、ユダヤは関係ない。したがって誓約書は無効なのだ。
イギリス人と婚約者は子供の手を取って脱出する。
1955年、一族の生き残りの3人が再開する。
イギリスへ脱出した家族の生き残りが嘯く。おれはイギリス人だからユダヤもレオポルトシュタットもどうでも良い。ロンドン大空襲で母が殺されたからナチスは嫌いだ。
早いうちにアメリカへ渡った家族の生き残りの娘が、その言い方は無いと憤る。
それよりも憤っているのは、アウシュビッツから一族でただ一人生還した男だ。
で、とイギリス人が聞く。なぜアーリア人の息子はここにはいないんだ? 彼には何の問題もなかったのだろう?
彼は1944年に自殺した。
なぜ? そんな理由はないだろう。
なぜわからないの?
そして、憤激した娘は別室に去る。男二人の会話となる。戦勝国は戦後の統治の方便のために、戦敗国の責任を当時の政府(軍)のものとして国民も被害者とした。本当にそうか?
娘、紙を手にして戻ってくる。
一族の名前がここにあるわ。そして死因を読み上げる。(ウィーンっ子が毒を注射した妻の死因は語られない)後半、アウシュビッツが延々と続く。死の行進ときくと日本軍のビルマを想起するが、同じような収容所間の殺すための行進があったのかな?
描かれているのは裕福なユダヤ人の歴史だが、射程に入っているのは語られていない、「ではそうではない「純正な」オーストリー人は何をしていたのか?」 で、観ていて クロードミレールの『ある秘密』 を想起せずにはいられなかった。それはナチスだけの問題なのか?
当然、その視座には日本も含まれる。
傑作だった。
ジェズイットを見習え |