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新国立劇場でボリス・ゴドゥノフ。歴史は知っていてもこのオペラ自体は初めて。かつムソルグスキーは他人が編曲した曲以外はおそらく聴いたことがないので楽しみ。
演出は、終演後のツアーでの説明によれば、ボリス・ゴドゥノフの心象風景を舞台にしたものらしい。とするとキューブ(と呼ぶらしい)での息子の世話をする自分というのがいかに重要なことか。
カーテンコールがほとんどを男性が占めるのが壮観だった。もともと女性が全然出てこなくて劇場に難色を示されたので、あとから娘のシーンを取って付けたというようなことがプログラムに書いてあったが、納得感がある。
とはいえ、その娘を含む三重唱が曲全体の中では出色の美しさなのだが。
オーケストレーションは弦ばかりで、この人は特に金管を使えないのか? と聴きながら思う。というか、誰でもそう考えた結果が禿山の一夜のリムスキーコルサコフになるわけか。
で、全体としてはもうほとんど現代歌劇も良いところなのだ。とにかくメロディーが無い。おそらくディクテーションから曲を作ったのではないか? したがって、もう少し歩を未来へ進めればシュピレッヒシュティンメになってしまいそうだ。
というわけで、退屈は退屈なのだが(台詞重視と考えられる以上は台詞を左右の字幕で見るわけだが、その分、舞台上の動きを見られなくなり、しかし音は比較的単調(したがって、歌手の能力がものを言うわけなのだろう))、歌手は全員よくぞ揃えたりといわんばかりの圧倒性がある。
特に歴史修正主義者の大司教の歌手(ゴデルジ・ジャネリーゼ)が凄まじい。あまりの音量と深い響きで修正した手前勝手な歴史観に、ドミトリーの死を目撃したシュイスキー(丞相格の貴族)もボリスも思わずボリス自身が皇子を殺害したかのような気分にさせられてしまうし、最初の登場時には偽ドミトリーが自分がドミトリーだと信じ込んでしまうのも無理はない。
ボリス自身は最高権力にあって人民のために尽くそうとするのだが、脚を引っ張りまくる世襲貴族官僚群、思いもよらぬ天変地異(かくして飢饉発生)など、呪われているかのように運も立場も悪い。
その「呪われている」かのような雰囲気を歴史修正主義者が突いてくるのだから、脆弱な権力基盤しかないボリス政権がぐらつくのは当然のことだった。
かくして歴史修正主義者と天変地異を呪いのせいだと信じ込んだ大衆に支えられて権力を簒奪しに隣国の力を(大衆にはわからないように)借りて進軍してくる偽ドミトリーが「ロシアを取り戻す!」と歌いまくるのも当然至極かも知れない。当然のように権力は偽ドミトリーへ移動し、ロシアの悲劇は続くのだ、と歌われてお終い。
というわけで、プーチン批判の演出のつもりだったのかも知れないが、どう解釈しても民主党政権から安倍長期政権(まさか、統一教会に人材的にも金銭的にも支えられていたとは考えもしないポーランド)への簒奪劇のように見えるわけだ。野田はシュイスキーだな。
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